不倫は良くないが、メディアが個人を叩くのはそれ以上に良くない件

ゲスの極みが活動休止に入るそうです。原因は新彼女(未成年)に飲酒をさせた関係とのこと。この報道をメディアはこぞって取り上げ、「ゲス批判」を展開しています。ゲス川谷は、私も好きではありません。しかし嫌いだからといって、叩いていい理由にはならないですよね。彼は倫理的に問題のある人間かもしれませんが、犯罪者ではないし、テロリストでもありません。ただの有名な庶民です。庶民である以上、我々と同様に人権や尊厳もあるわけです。彼が叩かれることが許されるなら、我々庶民が明日突然メディアに叩かれることも許されるということです。それでもいいなら構いませんが。

多様性を認めない文化

不倫は絶対よくないですが、ゲス川谷は多様性の中の一種類に過ぎません。ああいう人間もいるんだな、ということでスルーすればいいのです。ドナルド・トランプと同じです。彼は口の悪い金の亡者ですが、少なくとも大統領選に出る権利は持っています。だからアメリカのメディアも、「トランプが◯◯という発言をしました」という客観的事実を報道することはあっても、「トランプは人間のクズだ!こんなやつはさっさと辞めさせろ!」という個人叩きをやったりしません。なぜならトランプも多様性の一種に過ぎないからです。個人叩きをしないのではなく、個人叩きをしてはいけないのです。アルファベットを多様性に例えるなら、Aは良くてZはダメなんてことは許されません。Aを認めるなら、BもCもDもZも全部認めなければなりません。それが多様性であり、その視点が日本には欠けているのです。