「若者の死因1位は自殺」に若者の私が納得がいく理由

2017年5月末に、「日本の若者の死因第1位は自殺である」という、政府の発表が話題になりました(参考: 日本人の自殺、15~39歳の死因1位に)。これは2位の事故、3位のがんより倍以上高い数値になっています。一方で世界の若者の死因と比べると、1位は事故とされています。このニュースを聞いて、「日本は事故と病気が少ないから、自殺率が高く見えるだけ」とトンデモ理論を並べている人がいますが、日本の事故発生率は世界的に見てもそこまで低くありません(参考: 世界各国の交通「死亡」事故事情 日本は多い?少ない?)。なにより自殺率が世界6位という高さ(先進国2位)であることから(参考: 日本の自殺率は世界でワースト6位、特に女性はワースト3位)、日本で自殺者が多い事実は間違いありません。この結果に対して、実際に若者である私は、特に疑いはなく納得しています。今回は「若者の死因1位は自殺」に若者の私が納得がいく理由についてご紹介していきます。

若者なら誰しも死にたくなることがある?

人生において常に成功し続けることは絶対に無理です。大学受験で失敗したり、就職活動で失敗したり、新卒で入った会社がブラック企業だったなんてことはよくある話です。そして真面目な人なら失敗したときに、「私の努力が足りなかった」、「私のやり方が間違っていた」と自分を責めることになります。しかしながら、この後悔と自己嫌悪が行き過ぎたときに、人は「自殺」という選択肢を取ります。こと日本の若者には、悩みすぎてしまう真面目な人が多いのです。「うまくいかない→私はダメな人間だ→死ぬしかない」という思考回路は、若者にとって、とても身近なものなのかもしれません。

私たちは小さい頃から、「日本は不景気だから、必死に努力しないと安定した暮らしを手に入れられないよ」とプレッシャーをかけられて育ちました。ところが、今ほとんどの若者は、学生時代に思い描いていた理想の社会生活とは程遠い、むしろ正反対の人生を送っていると思います。そして「こうなってしまったのは、自分の努力が足りなかったからだ」と思い込んでしまいます。真面目な人ほどそう思ってしまうものです。そうやって自分で自分を責めている状況下において、さらに周りの人から「お前はダメ人間だ」、「お前には努力が足りない」なんて追い討ちをかけられると、「そうです、私はダメな人間です。サヨウナラ。」とネガティブな考え方に肯定をしてしまうことになります。しかし、ものごとには、努力してどうにかできることと、努力してもどうにもならないことは必ずあります。何かがうまくいかないときに、いつも100%自分が悪いと思い込むことは、そもそも間違った考え方です。

若者はもっといい加減でいい?

そもそも人間はいい加減な生き物です。若者たちは常に完璧であろうとしますが、それが自分の首を絞めることになります。もっといい加減でいいのです。「そもそも私はいい加減な人間だ」、「そもそも私はそんなに真面目じゃない」と開き直りましょう。すると、変なプレッシャーからも解放されますし、周りのアンチ的な声も聞こえなくなっていきます。アメリカに行けば、若者たちはもっと適当に生きています。アルバイトの店員さんなんかも本当に「怒られるよ?」って思うくらい適当です(笑)。車のエンジンを常にフル稼働させていると、いずれオーバーヒートして壊れてしまうのと同じで、人間も時にはいい加減に、適当に生きるくらいがちょうどいいのかもしれません。私たちは無理に頑張らなくていいし、もっと適当でいいのです。よく「私のせいで会社に迷惑をかけてしまった」とひどく落ち込みがちですが、そもそも新卒や入社2〜3年の若者が1人がミスったくらいで会社の業績は全くダメージを受けません。あなたが取締役会やCEOなどの重要ポジションなら別ですが、そうではないですよね。言ってしまえば、新米の分際で会社の責任がどうとか、いっちょまえのことをぬかすのが間違っているのです。若者は若者らしく、適当に生きていればいいのです。「基本は適当で、やるときはやる!」くらいのバランスがちょうどいいのです。

最後に

今回は「若者の死因1位は自殺」に若者の私が納得いく理由についてご紹介しました。真面目であることは美徳とされがちですが、行き過ぎると逆効果になります。そのため、人間は少々いい加減なくらいがちょうどいいのです。もちろん、いい加減と言っても、物を盗んだり、人に迷惑をかけるのはやり過ぎです。何事もバランスが大切なのです。それに加えて、他人が適当であったり、いい加減であることにも寛容になる必要があります。店員の接客態度が少々いい加減であったり、適当でもあっても、「まあ、アルバイトだしな」、「きっと疲れてるんだな」、「早く無人化するといいのに」くらいの気持ちで大目に見ることが必要です。他人に真面目であることを要求するのは、回り回って自分の首を絞めることになりかねません。まずは他人に寛容になること、そして自分自身ももっと力を抜いて適当に生きることを始めましょう。そうすれば、何かに深刻に悩み過ぎたり、最悪の選択をすることも減っていくかもしれません。もう頑張らなくていいのです。